ソウル編
初韓国早々、
豊かな自然を感じた翌日のソウル。

首都なだけあって、
活気にあふれ、建物も近代的なものばかりです。

←こちらは国会議事堂。
東京のハトバスツアーにでも参加している気分を味わう(笑)
お馴染みスタバのハングルにも新鮮さを感じる。
・・・・そして盛りすぎ発見(笑)
相変わらず、食べ物が美味しい。
スタミナはつくし、お茶すらナツメが入って美容に良さそう。
中国に行った時より、医食同源を感じる。いや、美食同源?皆、肌がすこぶる綺麗だ。

そして美用品の売り込みは、どこのデパートへ行っても、お土産屋さんでも激しい。
かわせない程、皆、日本語が堪能だ(苦笑)
返す言葉に詰まり黙っていたとき、あれ?日本人じゃなくて中国人だった?と言われ、中国語で切り替えてきた時は圧倒された。
デパートで働く日本語しか話さない主人にこの衝撃を伝えたい(笑)

しかしながら日本にいても店員さんに話しかけられるのが苦手な上、コスメに興味が薄い私はそろそろ疲労が出始めていた・・・・


昌徳宮、こちらもユネスコの世界遺産に指定されている。

日本から嫁ぎ、
大韓帝国最後の皇太子李垠の妃となった李方子(まさこ)も、
この宮殿で暮らしたという。
この辺りの勉強不足、教育不足を韓国人は怒るだろう。
私は典型的な教育しか受けていない日本人なのだとつくづく思った。

折りしも街は紅葉が見ごろを迎え・・・
宮殿の中は素晴らしい装飾品が数多くある。
けれど庭先に咲く、小指の先程の小さな花の方が、
私には愛おしく美しく感じられる。
方子妃はどうだったのだろうか。
宮殿入り口の見事なもみじの紅葉。

このように画像にしてしまうと臨場感がかけて残念だが、
圧倒的な大きさと燃えるような赤や黄色が、風に揺られる度、それぞれの葉に魂でも宿したようにざわめく。人生で最も美しいもみじだった。

それを見上げた時、隣に母と妹が居た事が何よりの幸せでもあった。
ここから先の人生で、これより見事な紅葉を観ることもあるのかも知れない。けれど、そこに母と妹は居ないのかも知れない。
それに気づいていた事がこの紅葉をより美しく見せてくれたのだろうか。

私が韓国にきたのは、このもみじを彼女らと見るためだったようにさえ感じられた。

そう、

きっかけは妹の一言だった。
「知ろうともしないで嫌ってはいけないと昔私に言ったのは、あなたでしょう」と。

2005年、家族旅行が父の大好きな中国に決まった時、
妹は、「中国ならば、嫌いだから行きたくない」と言った。

その時、どうも私は彼女にその様な事を言ったらしい。

父の仕事上、そして私と末っ子の彼女との年齢差が一回りもあったことで、
家族揃って旅行に行けた記憶は殆どなかった。

だからこそ、彼女が欠けてしまうのは残念で、
苦し紛れに私はそう言ったのだと思う。
そしてその一言で彼女は共に中国へ行った。

それから約5年「韓国なら遠慮したい」「行きたくない」と張り続けた私に、
成長した妹が先の言葉を私に言った。

そして彼女はそこに「親孝行」という単語まで付け加えた(笑)
そう、それで返す言葉はなくなったのだった。

けれど、あのもみじを見た時、何かが少し、ほどけたように思う。
帰国の日、空港に向う途中の日の出。
初日の出を共に見た事すらなかった、今思えば、母と妹と共に見た、初めての日の出だった。
こんなに長く血を繋げていても、初めては多いのだと知る。
これがこの旅の意味だったのだろう。
感慨にふける余裕もなく、2時間もすれば静岡につく。
ほら、翼の横に富士山が(笑)千葉で暮らす今でも、富士山を見ると「帰ってきたなー」と思う。

それからしばらくして父も母も・・母なんて半年に1度のペースで韓国を訪れている。
そう、韓国はいつでも行ける国になった。

そして私はいつでもフィンランドの事ばかり考えていた。
父が中国、母が韓国ならば、私はフィンランドなのだ。何故と言われても分からない。

けれど、家族一緒で、というのであればまた韓国を訪れてみたい。
両親との同じ思い出を作れる時間というのは、思っているより、もう多くはないのだ。これはそれを教えてくれた旅でもある。

みんなで一緒にフィンランド、が叶えば言う事はもうないが、それが叶うことはまずないだろう。
けれど、次回のフォトページはそのフィンランドに続く。そう、夢にまで見たあのフィンランドに!

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